愛のカタチ
Agape
「投降しないのなら、」
一瞬、残念そうな顔を浮かべたまま、力で敵をねじ伏せる、命令をする。
彼の二つ名は、『白き死神』
「お疲れ」
スザクがジノの部屋に来るのは、大抵大きな任務の後だった。
大きな任務というと、言ってしまえば大量の人を殺した後、だ。
一年経った。それでも彼は、慣れないようだった。
自分を正当化するのではなく、自分を責めることで、安寧を得るような性格だった。
壊れてしまう、そう心配していた当初より、存外彼は強いと気づいてからも、その歪みは変えがたいものなのかと思った。
どうやって直せばいいのか、ジノは見当がつかない。
けれど、彼がこの腕を欲しているというのは分かるから。ジノはスザクの腕を引き、抱き締めた。
スザクは、縋っているわけではないのだと思う。救ってほしいと彼は思っていない。直そうという発想がない。
むしろ、否定してもらいたがっている。殺してもらいたいと思っている。彼は死にたがっている。
引きとめたいとか、そういう意識が浮かばないわけではない。その支えになりたい、と、自分ならなれるのではないか、と、自信家な彼は思わないわけではない。ただ。
「別に…疲れてないよ」
「そう?」
この腕の中、小さくつぶやく彼を見ていると、強引に引きとめるのも、刻みつけるのも、まるで罪悪のように感じる。
だから、何も言わず、彼の望むままに、なんて思うのかもしれない。どちらかというと衝動で動く性質だったジノの変化とも言えた。
「今日は、どうするの?」
「ジノがしたいなら、する」
睫を瞬きながら、胸に体を預けてくる。ふわふわの髪の毛に頬を擦りつけながら、ジノはどうしたものか悩む。
気持ちいいことは好きだが、それを利用されるのは嫌い。しかも彼はそれを悪いと思っている。だから、きっと、しない方が正解。
スザクを抱く腕を強くする。耳の後ろから、甘い香りがする。跳ねている毛先をぱくりと口に含みながら、ジノは無意識に甘い声を出す。
「わたしも、スザクがしたいなら、する」
「なんだよ、くすぐったい」
スザクの弱い首筋に息を吹きかけ、体にまわしていた腕で脇の下をくすぐる。からからと笑ったスザクが身をよじる。
それを追いかけようと体を倒すと、ぱたん、ベッドに彼を押し倒す形になった。
「ジノ、」
熱っぽい瞳で見つめられる。同時にひどく、冷静な残酷さというものを、彼の瞳の奥に感ぜられる。
どうしようも出来ないもどかしさがある。力の強さも、精神の安定も、彼を手に入れる何の役にも立たないと思い知った。
ジノは、そうした方法以外の愛し方を知らなくて、ただひたすら、初めてかもしれない、戸惑っていた。
そして、何の努力もせずに、(もしかしたらそれは一方的な逆恨みかもしれないが)彼の精神を凌辱する人物に、羨望のようなじりじりとした感覚が沸いた。スザクの瞳には、きっと、あの記号の男がずっと住んでいる。一年経っても、変わっていない。それは、遠く綺麗な夢のようなものだった。
なんとなくわかってしまって、でも、体の下の彼から目を離すことは出来ない。綺麗な緑色が細められて、こちらの頬に触れた。薄く微笑むその唇が、穏やかな声音を発する。
「どうして、泣いているんだ?」
「っ、は、」
何言って、とは続かない。嗚咽がこぼれたせいだ。この感情はなんなのか。ジノは分からない。
顔も知らない相手への、激情。組み敷いている彼への、言い表せられない恋情と、排除願望。どろどろとした感覚が、ジノの中で生成されていく。まるで、底のない海のようだ。どろどろとした思考のせいで、渦巻いていた欲望は形をひそめてしまった。
もしも、彼が刻むその言葉通り、彼の彼を殺したとしても、彼の彼がいなくなったとしても、この想いに救いなんてないんだろうと分かる。己の醜さよりも、人間の純粋さよりも、もっと、釈然としない何かがある。選ばれたいのか、焦がれたいのか、求められたいのか、懐に入れてもらいたいのか。多分、すべて。そうした上での排除願望。それで救われるのならば、壊してやりたい。すべて、すべて。まるで麻薬のようだ。けれどそれに溺れるほど、ジノは浅はかでも汚れてもいなかった。確固たる己が崩れて行って、それでも抵抗する。自身の否定を否定する。
スザクは優しく、ジノの頭を引き寄せ撫でる。普段の漂漂とした様子と明らかに違う彼に、困惑しているようだ。
その手は温かい。冷酷に引き金を引き、たくさんの人間を殺してきたその手は、ジノのものと同じ、多くのものを背負っている。
こんなに感傷的になったのは初めてかもしれない。ジノは思いながら、ぐっと、スザクの胸に顔を埋めた。
否定をしても浮かんでしまう。こんな言葉が浮かぶ自分は嫌だ、と思った。自分じゃない、と思った。
スザクの代わりに、仮面の彼を殺してあげたい。
スザクの中から、仮面の彼を消し去ってあげたい。
スザクの手はジノの髪から、首筋、背中へと滑って行く。だんだんと落ち着きを取り戻したジノの様子に、ほっと息を吐いた。
「ジノ」
わざと明るい声を出すわけでも、いたわるような声を出すわけでもなく、スザクはいつもどおりの口調でその言葉を刻む。
「今日はずっと、こうしていようか」
死刑を宣告するそれと同じ唇で、ジノの心に安寧を与える。
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